「うちでは診られない」看護師が直面した、病院との連携の難しさ
ともに末期だった腎臓癌、乳癌の女性利用者さんたちが容態悪化。訪問看護師が今でも「利用者さんのために最善を尽くす」と胸に刻むきっかけとなった出来事とは
インタビューご協力者
土屋 恵
管理者看護師、介護支援専門員
ひかわした訪問看護ステーション
「うちでは診られない」看護師が直面した、病院との連携の難しさ
土屋さんが別のステーションで勤務していたときのこと。今ほど病院側の在宅療養への理解や、在宅医療の制度が整っていなかった頃のお話です。
末期の腎臓癌を患っていた50代女性がいました。
ある日、お小水がまったく出なくなり、もともと受診していた大きな病院にヘルプを求めた土屋さん。しかし、急を要する事態にも関わらず、病院からは連休など諸々の事情が重なり対応できないとの返答。
2、3日家で苦しい思いをした後、ようやくその医療機関を受診できたときには、状態は悪化し、水腎症になっていました。
病院で水腎症の治療が終わり、その女性に帰宅の意思を聞いてみると「あんな苦しい思いをするんだったら家にはもう帰りたくない」と言われてしまったんだとか。
もうひとつのエピソード。
同じく50代女性で末期の乳癌を患っていた方。ご主人が単身赴任で離れていて、高校生になる娘さんとの二人暮らしでした。
大学病院に入院していましたが、「最期は家で過ごしたい」という本人の希望により、大学病院の連携室が調整をして、地元の病院、往診の先生、訪問看護として土屋さんが入っていました。
その女性の容態は決して良くなく、潰瘍で崩れてしまった胸からは出血もしていました。病院で処置をしても、数日後には苦しくていられなくなっていました。
そこで地元の病院に相談。
すると、入院していた大学病院の調整により連携する手筈となっていた病院には「診察もしていないのに緊急でそんな状態の患者さんは診られない」と言われ、往診の先生に相談するも「そこまでの重症患者は診られない」と言われてしまいました。
そこでもとの大学病院に相談したところ、「退院後のことは他の機関に調整したので、うちではもう診られない」との返答でした。
利用者さんはこんなに苦しんでいるのに、どこも診てくれない。何もしてあげられない無力さに土屋さんは打ちひしがれたといいます。
その後、大学病院の連携室から「救急車でくれば受け入れます」と言われた土屋さんは、その旨を利用者さんに伝えました。しかし我慢強い方だったので、「こんなことで迷惑かけたら申し訳ない」と、救急車を呼ばなかったんだとか。
数日、家でものすごく苦しんだ後、「もう限界」というところで最終的には大学病院へ。その後、その利用者さんは亡くなりました。
自分が未熟だったがゆえに、その方の最期はすごく苦しませてしまったと後悔の念を抱く土屋さん。
今だったら何と言われても、利用者さんを守るために医療機関に押しかけて診てもらったり、連携する法人の病院に移したりといったことができるのに、当時はそこまでする力量や勇気を持ち合わせていなかったと振り返ります。
しかし、その経験があったからこそ「今できることはすべてやろう」という強い気持ちで仕事に臨めている、とも。
医療ケアが必要な方が地域で暮らすことを支援するには、様々な機関との連携が重要となります。
訪問看護師は、訪問の頻度、医療の知識などのバランスから、他職種との連携で要になる存在。
土屋さんが経験したことは、土地柄や、普段の他職種との関係性、連携している機関によっては、今の訪問看護においても十分起こりうることです。
そんななかでも、訪問看護師は、利用者さんのために最善の方法を模索し、提供しようという使命感を持ち続けて仕事に取り組んでいます。
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