「私を殺して」から20年 人生の後半をともに過ごしている一家
脳幹出血で搬送され、不全麻痺が残って体が意のままに動かなくなってしまった50代の女性 失意のあまり「殺して欲しい」と懇願された訪問看護師がその家庭に付き添い続けた20年間とは
インタビューご協力者
槇村 明美
看護師
グレース訪問看護ステーション 多摩分院
脳幹出血で搬送され、呼吸器も付けて命も危ない症状だった50代の女性
槇村さんがまだ病院で勤務し、脳外科病棟にいた時のこと。脳幹出血で搬送され、呼吸器も付けて命も危ない症状だった50代の女性が搬送されてきました。
治療を施した結果、なんとか回復の兆しが見られましたが、自分で起き上がることも何もできない不全麻痺の症状が残ってしまいました。治療直後、回復室に槇村さんが行くと、その方は一言「私を殺してください」。「こんな状態ならもう生きている意味はない」と、絶望に打ちひしがれていました。
その後、その方がリハビリを始め、在宅で治療を続けていくことになったタイミングでちょうど槇村さんも病院を退職し、在宅看護の世界へ。病院に引き続き、槇村さんが在宅で看ていくことになりました。
在宅で深く関わるにつれて、その方の人となりやこれまでの生活のことを知っていった槇村さん。実はその方は、まだ女子トイレさえ整備されていなかったほど女子学生が少なかった早稲田大学を卒業したほど、頭脳明晰な方。弁護士事務所に就職した後、結婚と子育てのために退職して家庭に専念されていました。ご自宅で廃油から石鹸を作ったり、残飯から肥料を作ったりと、あらゆることを自分の知恵や努力でこなしていたという、言うなればスーパー主婦。
そんな頭も良く行動力もある方だからこそ、体が思い通りに動かない状態になってしまったことが悔しく、ストレスも相当大きかったのでしょう。槇村さんにだけでなく、娘さんにも「殺して欲しい」と懇願していたんだそうです。
そこで槇村さんは精神科の先生に相談。先生にご自宅に来てもらい、ご本人だけでなく、負担もかかっている娘さんやご主人も含めて精神鑑定をしてもらう手配をしました。その他にも、知人を辿ったりしながら様々なサポートを施していきました。
槇村さんの必死のサポートにより、その女性は徐々に環境に慣れ、淡々と日々を過ごしていくことができていったそうです。
それから20年。なんと今でも槇村さんはその方を看ていると言います。
ご主人が2年前に食道がんを患った時には、半年間だけご夫婦ともにケアをしていました。ご主人がいよいよとなった際、「自宅で看取ろう」と奥様が言い出します。生きることに絶望していた奥様が在宅看護を利用し、槇村さんと関わっていく中で、自分の家で過ごすことが何よりの最期だと感じたのでしょう。そして槇村さんは、ご家族とともにお看取りをしました。
現在進行形でその方の人生の後半をともに過ごしている槇村さん。訪問看護師の仕事は、その人の人生を理解するために、“その人の人生に入っていく仕事”だと感じているそう。そこには、病気が治る/治らないという単純な出来事では感じることができない、人の人生の重みがあります。
利用者さんと深く、長く関わることができること、利用者さんの人生に自分が入っていけること、そしてその方の人生を豊かにできて感謝されること。槇村さんは、訪問看護師の仕事にはそんな一言では語りつくすことのできないやりがいがあると、その利用者さんとご家族に教えられたと振り返ります。
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