訪問が新しい人生を切り開くきっかけになった利用者の息子
働いたこともなく、社会との接点を持たずに生きてきた50代の息子 利用者である母親の死後、訪問看護師が来なくなったことで自らが切り開いた社会との繋がりやそこで得た喜びとは
インタビューご協力者
萩原 麻希
看護部長 / 管理者 / 看護師 / 保健師
訪問看護ステーションリリフル
会社を立ち上げて一番最初の利用者さん
萩原さんが会社を立ち上げて一番最初の利用者さんの話。70代後半のその女性は自費での依頼で、毎日訪問をするという案件でした。すでに亡くなっていたお父さんが財を成し、同居する50代の息子さんは働いたことがないまま生活ができていたというご家庭でした。
お母さんの状態はと言うと、人工呼吸器をつけており、褥瘡もあったため1日2回の処置が必要でした。息子さんが行えない吸引をするために夜にも訪問していたそうです。
お母さんのことが大好きだった息子さん。ケア自体は拒否していなかったものの、処置の際にお母さんの肌が見えたりオムツ交換をしようとすると「恥ずかしくて絶対見れない」と言っていたほど。
また息子さんは働いたことがなかったこともあり、処方箋を持って薬局に行ったり何かをどこかに買いに行ったりといったことも難しかったそう。萩原さんたちは息子さんへの指導をフルマネージメントで懇切丁寧に行いました。息子さんの毎日の話相手にもなっていたんだとか。
お母さんのための訪問でありながら、萩原さんたちは息子さんにとって唯一の社会との接点となっていたのです。2年後にお母さんが亡くなった直後には「今度からは自分のために訪問して欲しい」とまで言われたそう。それくらい、息子さんにとって萩原さんたちは心の拠り所でした。
その後、息子さんとはちょこちょこ電話をしたり何度か会ったりする間柄に。今でも季節ごとで連絡が来たりお中元が届いたり事務所にも遊びに来てくれたりしているんだとか。そして萩原さんのお誕生日には花束が贈られてきたことも。
「〇〇にお出かけしたから事務所のみんなで食べて」とお菓子を送ってきてくれた時もありました。お礼の電話をすると、それ以来、そのお店のお菓子が頻繁に送られてくるようになりました。贈り物をして「ありがとう」と言ってもらえたことがとても嬉しく、救いにもなっていたのでしょう。
お母さんが生きがいだった息子さんが自暴自棄になったりさらに引きこもりになったりしないか心配していたという萩原さん。当初は買い物さえ1人でできなかったのに、今ではこうして外に出て人と交流する喜びを感じている息子さんを見て安心しているそうです。
訪問が終了し、訪問看護師との関係性が切れることで新しい人生が開かれていく人もいれば、訪問看護師との関係性が繋がり続けることで新しい人生を楽しんでいく人もいる。
利用者さんのケアの面だけではなく、そのご家族が健康的な生活を送る上でも訪問看護師が役立っているという充足感を萩原さんが強く感じた経験となりました。
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