家族会議で在宅ケアに戻った女性 家族を看ることで生まれる力
ご主人、お子さんたち、お母さんら家族会議で病棟から在宅に戻った末期がんの女性 訪問看護師が目の当たりにした、家族のとてつもない力とは
インタビューご協力者
中江 志穂
副所長
一般社団法人ひかりの森
中江さんが札幌で訪問看護を始めたばかりの頃。受け持ったのは40代の末期の大腸がんを患った女性でした。彼女のご家族がとても印象に残っています。
その女性は居酒屋を経営するご主人と高校生の長女、中学生の長男と次女、そしてご本人のお母さんとお父さんという家族構成でした。当時、お父さんも女性と同じくらい進行していた前立腺がんを患っていたのだとか。お母さんは娘(女性)とご主人の2人を介護している状態でかなり疲弊していました。さらに長女は2年前にお母さんが癌になったことがきっかけとなり、鬱になって高校を中退。本人だけでなく、家族みんなが病気に苦しんでいる状況だったそうです。
女性の看護は、ベストサポーティブケアに入り始めていました。先生も介入しながらご家族の意向を確認した上での決断。しかし、女性は「1人で排泄ができなくなったら緩和ケア病棟に入る」と覚悟を決めていたほど、とても力強く、凛としていた様子だったそうです。
ご家族による自宅でのケアは簡単なものではありませんでした。忙しいご主人は仕事柄、昼間は家におらず、夜も遅くまで帰ってこられない。そのため夕方に学校から帰ってきた子どもたちがご飯の準備をしていたご家庭でした。
そんな状況だったため、中江さんもご本人の意向をご家族にも相談していました。しばらくして、いよいよ緩和ケア病棟に入ることに。しかし中江さんは病棟の先生からとある報告があったそうです。
「ご本人が病棟に入ったことで役割を失って、全然生き生きしていない。今までのご家族の絆と訪問看護、在宅医の先生のサポートがあるなら、もうお家で最期まで過ごしたらいいのでは」
ご家族はご主人と受験生を含めたお子さんたちとお母さんで家族会議をすることになりました。その頃には終末期のお父さんは亡くなっていたそう。そして話し合った結果、「帰ってきてもらいたい」という結論に。中江さんは一度訪問看護でサポートしながら、時には家族会議に参加しながら、ご家族の支援をしていきました。
ご主人が不在になる夜間には、受験生の息子さんが下に降りてお母さんのことを見るなどしていましたが、ご本人はかなり傾眠になりながらもお子さんたちに対しては最期まで母親の役割をしながら過ごされていたそうです。家族のケアを受けながら、ほどなくして女性は亡くなりました。
長女の鬱のこともあり、中江さんはその後3年ほどグリーフケアを続けました。そのグリーフケアを通じて、ご家族のものすごい力や成長を目の当たりにしたそうです。長女はなんと、母親を看たことが自分自身の自立につながり、その後定時制の高校を卒業して一人暮らしを始めたんだとか。お子さん含め、家族みんなの力にはとてつもないものがあると強く感じた中江さんでした。
家族の力をこれだけ信じていい。お家で家族に任せていい。緩和ケア病棟でご本人に覇気がなかったのも、お家で家族と過ごすことがかけがえのない大事な時間だったから。
この女性とその家族を通して経験できたことが、中江さん自身の在宅への不安を取り除くきっかけにもなり、成長にも繋がったと振り返ります。
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